伊勢志摩を満喫 観光地紹介Ise
伊勢神宮について
「おかげ参り」、「お伊勢さん」などと慕われる伊勢の神宮。 正式名称は「神宮」。
全国各地に神宮と名の付く社はいくつか存在するが、その組織の中で最も中心的位置に存在する伊勢神宮。 この伊勢の地に鎮座されたのは垂仁天皇の代で二千年余の歴史を持つ。
外宮、内宮しか一般的には知られていないが、その両宮に属する別宮十四社、ならびに摂社、末社、所官社まで含めると実に百二十五社存在し、そのすべてをひっくるめて「伊勢神宮」と称する。
古来からの慣わしで外宮、内宮、別宮十四社に至っては二十年毎に正殿、諸殿を建て替える「式年遷宮」という伝統行事がある。平成二十五年に第六十二回目の式年遷宮が行われる。
また、江戸時代中期には年間約400万もの人がこの伊勢を訪れていたとされ、「一生に一度はお伊勢参りを…」とご利益を授かりに数多くの人がこの伊勢の地を訪れた。
現在こそ約600万人の参拝者があるとされるが当時の人口から考えると相当の数であったことが伺える。
外宮(豊受大神宮
正式には「豊受大神宮」。 ご祭神は天照大神の御饌都神である豊受大神(とようけのおおみかみ)。ご鎮座は雄略天皇の代で内宮より約五百年後とされる。
五穀豊穣を司り衣食住、産業全般の神として崇められています。
神域は内宮に比べると小さいが一般には、外宮内宮の両宮を参ってこそご利益を得られるとされており、外宮が市街地にあるのに対し、内宮は約5km離れてたつ。
内宮(皇大神宮)
清流五十鈴川の上に鎮座する内宮は、正式には「皇大神宮」という。
ご祭神は天照大神(あまてらしますすめおおみかみ)。お祀りする御神体は三種の神器の一つである八咫の鏡であり、内宮神域には荒祭宮、風日祈宮の2つの別宮も鎮座します。
内宮からほど近くには「おかげ横丁」や、創業三百年を誇る「赤福本店」が存在し、内宮周辺は伊勢の観光スポットの中心的役割を果たしています。
別宮十四社一覧
多賀宮(外宮別宮)
土宮(外宮別宮)
月夜見宮(外宮別宮)
風宮(外宮別宮)
荒祭宮(内宮別宮)
月読宮・月読荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈弥宮
滝原宮・滝原竝宮(内宮別宮)
伊雑宮(内宮別宮)
風日祈宮(内宮別宮)
倭姫宮(内宮別宮)
神宮周辺の観光名所
神宮徴古館・神宮農業館・神宮美術館
神宮徴古館は伊勢神宮のおまつりや歴史・文化に関する資料を中心に収蔵・展示し、 伊勢神宮を知るためには必見の博物館です。
中でも社殿建築の模型や、20年に一度行われる式年遷宮の御料である御神宝類(撤下品)は圧巻です。 神宮農業館は、人間と自然の産物との関わりをテーマとした日本最初の産業博物館です。
神宮美術館は、20年に一度の式年遷宮を奉賛して、当代最高の美術・工芸家から奉納される絵画・書・彫塑・工芸を展示しています。
写真提供:神宮司庁 神宮の博物館
猿田彦神社・佐瑠女神社
主神は猿田彦大神。建築・方位除け・交通安全など、古来多くのご御神徳でも知られています。
瓊々杵尊が降臨される際に高千穂の峯に導かれ、その後、伊勢を本拠の地として広く国土を開拓指導されました。
また、皇女・倭姫命が神宮鎮祀の場所を求めて諸国を巡礼された折、御裔の大田命がお迎えし、五十鈴の川上の地を献上し、神宮が創建されました。
同敷地に祀られる佐瑠女神社。ご祭神は天宇受売命。俳優・神楽・芸能・鎮魂の祖神。
写真提供:猿田彦神社 猿田彦神社
おはらい町・おかげ横丁
「おはらい町」は当時のお伊勢参りの風景を再現した町並みを見ることができ、通りの一角には赤福本店、おかげ横丁が存在する。
「おかげ横丁」では伊勢の伝統文化を知ることができ、当地の特産品などを扱う店舗が集結した無料のテーマパークとなっており連日賑わいをみせている。
写真提供:有限会社 伊勢福 伊勢内宮前 おかげ横丁
赤福本店
創業は1707年(宝永4年)。 赤福の名は、「赤心慶福(せきしんけいふく)」に由来し、真心を持って人様のめでたき事、福多き事を願うという意味にて、伊勢神宮参拝者への心よりのおもてなしと幸せを願って名付けられています。
赤福の形は、伊勢神宮の神域を流れる五十鈴川の清流を餡に、川床の小石をお餅に見立てています。
写真提供:株式会社 赤福 伊勢名物 赤福
伊勢志摩スカイライン・金剛證寺
朝熊山にかかるスカイライン(有料)。伊勢と鳥羽を16.3kmで結ぶ。頂上には展望台、レストハウス、売店があり、その横に徳川家の拝観所としても有名な金剛證寺が建つ。
金剛證寺は昔より伊勢神宮の鬼門を守る寺として、神宮の奥の院ともいわれ「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭の一節にも唄われ、参宮する人々は当寺に参詣するのが常でありました。
写真提供:三重県観光開発(株)
金剛証寺
朝熊岳金剛證寺
伊勢志摩スカイライン
その他の観光名所
古市まちなみ・麻吉旅館・参宮街道資料館
その昔、古市は80軒あまりを誇った遊郭街。江戸幕府非公認ながら吉原に次ぐ規模の日本三大遊郭の1つでした。
当時の古市老舗であった油家旅館で起こった油家騒動のお話は有名。
古市の歴史を綴った参宮街道資料館、当時の佇まいのまま残される麻吉旅館は木造の6階立ての珍しい構造。
写真提供:伊勢市役所観光企画課 伊勢市役所 伊勢市立伊勢古市参宮街道資料館
河埼まちなみ・伊勢河崎商人館
江戸時代には、全国各地からの参宮客でにぎわう宇治・山田に、 勢田川の水運を利用して大量物資を供給する大問屋街として発展し、 明治時代まで、伊勢の商業の中心を担っていました。
川沿いの石積みの蔵、 本通り沿いの商家や町屋や建物を演出する世古道など、当時の面影を 感じることができるまちなみは今でも残っています。
『伊勢河崎商人館』では様々なイベントも 開催され、魅力ある「河崎のまち」を知ることができます。
写真提供:伊勢河崎商人館 伊勢河崎商人館
斎宮
斎宮歴史博物館
斎宮は「いつきのみや」とも呼ばれ、斎王の宮殿と斎宮寮(さいくうりょう)という役所のあったところで す。
斎王は、天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、天皇の代替りごとに皇族女性の中から選ばれて、都から伊勢に派遣されました。
この斎王制度は後醍醐天皇の時代(1330年頃)まで約660年間続き、60人余りの斎王の名が残されています。 斎宮歴史博物館は、昭和45年(1970)以来継続的に進められている発掘調査や研究の成果に基づき、斎宮の歴史を紹介するため、平成元年(1989)10月に史跡の一角に開館した県立のテーマ博物館です。
いつきのみや歴史体験館
体験には、十二単(じゅうにひとえ)や直衣(のうし)の試着体験を毎日おこなっているほか、天皇や斎王の乗り物であった葱華輦(そうかれん)に乗ってみたり、盤双六(ばんすごろく)や貝覆い(かいおおい)などの古代の遊びに挑戦することができます。
また、講座体験では、桃の節供や七草粥づくりなど平安時代年中行事の復元体験や、機織りや草木染め、火起こしなど古代の技術・文化が体験できます。
そのほかにも、考古学体験講座や、藁細工や糸づくりなど伊勢地方の伝統文化に取り組む体験講座もあります。
写真提供:三重県立斎宮歴史博物館蔵 いつきのみや歴史体験館